ロンドン動物園からの留学報告
私は2000年10月から一年間の予定で、英国王立獣医学校(Royal VeterinaryCollege:以下、愛称であるロイヤル・ベッツとします)感染症病理学講座Mark T.Fox講師のもとで、野生動物・動物園動物の寄生蠕虫症診断に関する研究を実施中です。この獣医学校は、我々獣医学大学に勤務するものは誰でも関心の持つ獣医学教育国際基準(グローバル・スタンダード)を欧州でクリアした数少ない大学の一つです(写真1)。ちなみに、学生数は1学年140名(英国は五年制です)、今年の1年生でみると男子が占める割合は20%(33名)。女子学生の一人に聴いたのですが、ケンブリッジ大学の新入生は100%とのこと。獣医師はとても人気のある職種で(確かにテレビでは動物病院物が異常に多い印象あり)、当然、大学に入るのは難しい。「so stupidな男が入るわけ無いでしょ!」との逆セクハラ的なお言葉を頂きました。
しかし、野生動物医学関係者では、動物園のルーツであるロンドン動物学会動物園(Zoological Gardens, Zoological Society of London;以下、ロンドン動物園とします)と共同で、獣医学や動物学関連課程修了者を対象に、野生動物医学修士コース(Wild Animal Health Master Course)を開講していることで知られています。時々、野生動物医学会雑誌の中に綴じ込みのポスターがあり、ご存知の方も多いと存じます。
実は、Fox先生はこのコースのデイレクターのお一人で、私が酪農学園大学「野生動物学」の担当者であったとから研究招聘状にも、野生動物医学の研究の一環としてということで、特別に許可を頂き、コース授業を聴講させていただきました。また、研究の寄生蠕虫症テーマに関連する手技では、コース実習にも参加して技術の取得も行いました(写真2)。
このコースでは、2000年までに、6期の修了生約70名を出していますが(1994年から開始)、主に欧州(EU)の学生が多いものの、毎年、アフリカ、アジアの学生さんも1,2名ほどいるとのことです。しかし、日本からの参加者はこれまで二名(大平久子さんと河津理子さん;お二人とも獣医師で本学会員です)だけですから、トライしては如何でしょうか。現在、このお二人とコース・デイレクターのFox先生とロンドン動物園Anthony Sainsbury先生とともに、このコースの内容などについての詳細は別に準備中ですので(獣医畜産新報にて掲載予定)、ここではコースの概略を紹介致します。
このコースの期間は一年で(毎年10月1日から開始)、各学期約三ヶ月(休暇期間含む)の四学期制で構成されています。内容は、野生動物、動物園動物およびエキゾチックペット動物などの飼育・飼養学、栄養学、系統分類学、個体群生物学、保護遺伝学、野生動物利用学、倫理・福祉学、疫学、免疫学、感染・非感染病学、疾病調査学、看護学、予防学、麻酔学、外科学などの講義、病院実習および課題研究などです。講義実習の担当者は、王立獣医学校教官、ロンドン動物学会獣医師と研究者会員、その他英国内外の専門家約100名により行われます。
実習は、ロンドン動物園、ロンドン動物学会ウイップスネード野生動物公園ほか動物園、野生動物救護病院などで実施されます。学生は実習した内容の口頭発表およびレポート作成、4回の課題発表が義務付けられております。最終的には研究論文と筆記・口頭試験を行い、審査・成績判定が行われます。とにかく、内容の濃いもので、学生さんは大変そうでした。
私が聴講して気づいたことは、授業内容にほとんど重複がないことで、ディレクター(コーディネーター)に広範囲の項目から、目的にあったものを厳選する取捨選択や優先順位の決定の能力がなければできるものではないでしょう。たとえば、動物福祉も痛みや苦痛を生理学的に定量するなど、「科学」として捉え、日本の救護活動で散見される愛護的な側面はまったくありません。
また、学部レベルの復習にあてる時間はありませんから、獣医学の知識が無ければ多くの科目は理解不可能でしょう。さらに感染症の授業では、致死性疾患には寄生虫を原因とする割合が非常に高く、また「このような宿主には、この寄生虫がいる」というプリミティブな情報もいまだ不完全であると痛感しました。今後の寄生虫学の研究・教育では、鳥類や哺乳類だけに限らず、両生爬虫類や無脊椎動物に寄生するものも扱う必要もあるでしょう。
そして何と言っても、英語能力。獣医学専門用語(解剖学から臨床、特に、歯学、眼科、麻酔などや両生爬虫類・鳥類の臨床学などはあらかじめ予習すべきでしょうね)、動物の一般名(可能ならば学名の目、科の名称も)、動物学用語(進化・生態学に関する現象、両生爬虫類などの生物学的事項など)が、英語で理解する能力が必要です。この理解とは、聴いて理解する(ヒトによりかなり発音が異なり、これも大変でした)、さらに口頭での報告なども多いですから、話せないとだめ。読み書きの必要性は論ずるまでもありません。これだけの英語能力があったら、就職にも断然有利です(日本だけでは、野生動物関係では制限あり)。もっとも、最初から英語力があったら、学部からグロ-バル・スタンダードをクリアした獣医大に進学することも選択肢の一つでしょう(現に、ロイヤル・ベッツの新入生の一人が日本人の女学生)。
コース7期生には、アメリカからの学生もおり話を聞くことができましたが、「アメリカにはより専門的PhDコース・レベルはたくさんあるが、このコースで展開されているような様々な分野を、コンパクトに広大な領域を広く見わたす機会はほとんどないない」とのことでした。確かに、野生動物医学の分野では、そのスケールから米国が先端との印象がありますが、社会・歴史的背景(利用形態の複雑性、土地所有者の細分化など)と理背景(国土面積、生物相など)が、日本の状況と酷似しているヨーロッパの方が、日本における対策を考える場合、参考例が多いことも予想されます。そのようなことから、日本の獣医大学における野生動物医学関連の修士課程を立ち上げるには、このコースは雛型として最適だと思いまし。なお、このコース後半のスケジュールでは、ロイヤル・ベッツの五年生四名が、選択科目生として参加し、卒業レポート(日本の卒業論文に相当)の作成をしています。このように学部レベルの教育でも、コースが活用されていたことは、現行の日本の学部レベルの野生動物(医)学教育にも示唆を与えました。
さて、ロンドン動物園ですが、英国動物園連盟のオフィスもあり口蹄疫(FootMouthDisease;FMD)で関連の問い合わせが殺到しております。ご存知でしょうが、今、この国はFMDで揺れています。現在、この文を執筆しているのは、発生から約二ヶ月半たった時点記していますが、いっこうに収まりません。
もし、発症があれば接触のあった個体すべてと半径3キロの個体も殺さなければなりませんので、英国の動物園および野生動物関係者はピリピリしています。既に第一線を引退された獣医師や英国全土の獣医学校最終学年(5年生)の学生さん達も一部その対応に駆り出されています(まさに学徒動員です)。先月来、コソボなどの歴戦の軍隊が、slaughter作戦に投入されていますが、新聞・TVで、指揮官の一人が美人の女性少で、最善を尽くすようなコメントを述べていました。女性の兵隊でも、繰り出される弾は、男性と同じで、あたったら死ぬでしょう。警戒の眼をかいくぐって、ノネズミを採集しようとしてた脳天気な日本人寄生虫研究者も、カントリーサイドに張り巡らされたテープを見て意気消沈しています(写真3)。
しかし、財産であり、また、愛情の対象でもある家畜を殺されなければならない農家のや対応に追われている獣医師の方々のことを考えると、このようなことは些細なことです。なお、感染源にブッシュ・ミート(野生獣の肉。多くはアフリカ・アジアから密輸されている)が疑われております。対岸の家事とせず、日本でも真剣に対応すべきであると痛感しました。
当初、テレビジョンで「動物を殺すな!」と叫んでいた、いわゆる「愛護活動家」(愛護獣医師含む)は、早々に登場しなくなりました。無責任な「愛護」は、基本的な問題解決力を持たないばかりか、かえって状況を混乱させるだけの印象を与えていました。今回の口蹄疫騒動は、ある側面では感染症と野生動物の保護を考える上では好機といえましょうが、それにしてもあまりにも犠牲が大きいです(現在形)。
終りに、出国前、野生動物医学会 高橋貢 会長から野生動物医学修士コースへ私の推薦状を頂きました。また、元・神戸市立王子動物園村田浩一氏(現・日本大学)にはコース・デイレクターのロンドン動物園主任獣医師Anthony Sainsbury氏をご紹介下さいました。さらに、岐阜大学・坪田敏男氏(野生動物医学会事務局長)から、ご自身の親しくされる欧州の研究者の方々をご紹介下さいました。ここに記し、感謝いたします。
■写真説明
- 写真1:
- 約200年の伝統を持つ英国王立獣医学校(カムデンキャンパス)図書館。
獣医学博物館のテラスから撮影 - 写真2:
- ウイップスネード野生動物公園にて、バイソンに抗生物質の投与を空気銃で行う著者。
背景に、ランドローバーの診療車。アメニテイとテデイさでは今一つだが、この公園における獣医師の必需品 - 写真3:
- 「クマのプー」の舞台となったカントリーサイド公共の歩道の一つ。
しかし、FMDで侵入不可能。このウイルスは現地の観光にも多大な被害を与えている - (2001年3月31日、East Sussexにて)

