ガイドライン

野生動物医学研究における動物福祉に関する指針

野生動物医学会は、ここ数年来の野生動物
医学の発展および動物福祉への世界的な関心を視野に入れ、研究対象とする全ての野生動物に適用する動物福祉に関する指針の策定が必要と判断した。研究対象となる野生動物の生命の尊厳と最大限のQOL(Quality of life生活の質)を守るルールを成文化し指針としてここに提案する。この動物動物福祉指針に抵触する事象が認められた場合、野生動物医学会は、関係者に対して積極的に改善を提言し、あるべき方向に改めるべく要請する。また、社会の動物福祉における意識の変化に対応するため、一定期間ごとに見直しを行い、改定を重ね、より完全なものとする。

1.目的
この指針は、野生動物および飼育動物(動物園・水族館動物)、救護野生動物等の取り扱いにおいて、対象動物のQOLを確保するための基本原則を定めて動物福祉の向上を図り、ひいては生物多様性の保全に寄与することを目指す。

2.責務
日本野生動物医学会(以下学会)に所属する会員は、本指針を誠実に履行し、遵守する義務を負う。

3.適用範囲
この指針は、全ての野生動物を対象とした取り扱い(研究、収集、飼育、診断治療、実験等を含む)に適用される。

4.研究計画
研究計画の立案に当っては、対象動物の取り扱いおよびこれを取り巻く環境に十分配慮し、研究が対象動物および生態系に及ぼす影響を最小限度にとどめる。必要に応じてこれらの専門家の意見を求め、自分の所属する機関に計画を評価する場があれば、動物福祉面での配慮を明記する。

5.収集
研究対象動物の収集にあたっては、次の各号に適合するものでなければならない。
5-1.収集および収集の過程において、国内外の関連法令を遵守すること。
5-2.収集の計画は対象動物の生理生態を理解し、生物多様性の保全を十分に考慮したものであること。
5-3.収集する動物の種、性別、年齢、特質などが研究計画の目的および条件に合っていること。
5-4.収集する動物の数は、目的を達成するために最小必要数であること。
5-5.非致死的調査にあっては、対象動物の捕獲・運搬に際して、可能な限り動物にストレスを与えない方法を採用すること。
5-6. 致死的調査にあっては、対象動物の捕殺に際して、可能な限り動物に恐怖や苦痛を与えることなく適切な方法で迅速に致死させること。

6.飼育
対象動物の飼育・診断治療にあたっては、次の各号に適合するように努める。
6-1.飼育・診断治療の目的を明確にし、対象動物の種の保存およびQOLの確保に可能な限り配慮すること。
6-2.対象動物の生理生態に適合する飼育・診断治療の施設、設備、器具などが具備されていること。
6-3.飼育管理ならびにその診断治療は、その種について必要な知識と技術を有する者によって行われること。
6-4.適切な獣医学的健康管理により、飼育動物の傷病発生予防と傷病発生時の速やかな機能回復に努めることと。
6-5.飼育動物のQOLを確保することが困難な場合、あるいは感染症予防の観点から、必要に応じて安楽殺を検討すること。
6-6.傷病野生動物の救護においては、その状態や予後を可能な限り速やかに適切に診断すること。治療を行っても救護個体のQOL確保が困難な場合は、必要に応じて安楽殺も検討すること。
6-7.救護個体にあっては、放野後の生存や繁殖に支障があったり、生態系や人間社会に悪影響を及ぼす恐れのある場合には、安易な放野を行わないこと。

7.実験
対象動物を実験に用いる場合は、次の各号に適合するように努める。
7-1.動物を用いずに目的を達成する代替手段があるときは、優先的に考慮すること。
7-2.実験に用いる動物の数は、目的を達成するために最小必要数であること。
7-3.必要に応じて適切な不動化および無痛化の手段を用い、対象動物に無用な恐怖や苦痛を与えないこと。
7-4.実験者の安全確保に配慮すること。
7-5.実験を終了した動物の処置は、周辺環境や元の個体群への悪影響を配慮し、放獣や安楽殺を含め適切な選択をすること。

8.安楽死
安楽死に際しては、対象動物のQOL、感染症の伝播防止などを考慮し、その必要性を可能な限り獣医師が判断して、実施に際しては可能な限り動物に恐怖や苦痛を与えない方法で行うこと。

9.関連法令の遵守など
動物の収集、飼育、研究および安楽死にあっては、国内外の関連法令を正しく認識し、遵守すること。

10.動物福祉委員会
本指針の目的を達成するため、学会内に動物福祉委員会を設置するものとし、その内容については規則をもって別に定める。

11.改廃
本指針の改廃は、理事会において審議し承認を得なければならない。

12.付則
本指針は2010年12月18日より施行する。

野生動物福祉委員会運営規則

付託事項(Terms of Reference)

本運営規則は、日本野生動物医学会(以下、医学会)の定める「野生動物研究における動物福祉に関する指針」第10項(動物福祉委員会)に基づき設置された動物福祉委員会の責務ならびに権限を定めるものである。

1.野生動物福祉委員会の目的
本委員会は医学会の定める「野生動物研究における動物福祉に関する指針」に基づき、野生動物を用いた研究が科学的かつ倫理的に実施される事を目的とする。

2.野生動物福祉委員会の構成
本委員会は、医学会が選出した委員長が指名する、専門分野を代表する委員数名で構成される。委員長は委員会を招集し、その議長となる。

3.任期
委員長及び委員の任期は3年とし、二期まで再任が可能である。

4.野生動物福祉委員会の業務
4.1.ガイドラインの見直し
医学会の定める「野生動物研究における動物福祉に関する指針」(以下ガイドライン)は、その前文にて一定期間毎に見直しを行い、改訂を重ね、より完全なものとする事が定められている。本委員会は、ガイドラインの見直しに必要な情報を収集検討し、改定案を作製して医学会理事会に提出する。
4.2.野生動物福祉に関する審査
本委員会は、医学会会員の関与する実験や調査計画、また輸送や飼育の方法、動物の処分法などに関し、医学会の要請に基づきガイドラインに照らして適当か否かを審査する。審査の結果は公表し、不適当なものについては改善の勧告を行うとともに、適当なものについては必要に応じて証明を発行する。
4.3.野生動物福祉に関する普及啓発
本委員会は、海外情報の翻訳紹介、大会における企画展示、ワークショップなどを通じて会員に対して野生動物福祉に関する普及啓発活動を行う。
4.4.他学会との連携及び動物福祉関連団体との関係
本委員会は、動物福祉に関する情報を共有して野生動物福祉を向上させるために、必要に応じて他学会や動物福祉関連団体と情報交換を行ったり、連携して調査活動を行ったりする事が出来る。
4.5. 専門家の招聘
本委員会は、上記4.1~4.4を実行するために、必要に応じて各分野の専門家を本学会の内外から一時的に委員として招聘する事が出来る。

5.規則の改廃
本運営規則の改廃は理事会において決定する。

付則
本運営規則は2009年6月13日(第41回理事会開催日)より施行する。

日本野生動物における再導入ガイドライン

日本野生動物医学会 2007年9月8日総会決定

1.背景
生物の多様性を保全することは、あらゆる生命体の生存基盤である生態系の維持に不可欠であるため、いまや人間社会の重要課題となっている。とりわけ、種の絶滅は取り返しのつかない事態であることから、絶滅のおそれのある種の回復は、最優先に取り組むべき課題で、これには現存する野生個体群の保全・回復がもっとも重要である。

一方、野外で絶滅した、あるいは絶滅のおそれのある野生動物を回復させることによって生態系の復元をはかるために、世界各地で再導入が行われてきた。わが国でも、大型野生動物では初めての再導入が2005 年9 月にニホンコウノトリで実施され、さらにトキ、ツシマヤマネコなどでも再導入に向けた取り組みが行われている。

しかし、再導入は、不適切に行われると生物多様性に悪影響を与えるばかりでなく、あらたな感染症を拡散させるなど、大きな弊害を生み出すこととなる。そのため、国際自然保護連合・種の保存委員会・再導入専門家グループ(IUCN/SSC/RSG)は、1995年に「再導入ガイドライン」(以下、IUCN ガイドライン)を策定し、多くの再導入事業はこれに準拠するようになった。

しかし、IUCN ガイドラインは、地球上のすべての地域と動植物分類群を対象とし、かつ再導入事業に関わる包括的なガイドラインを示したものである。したがって、実際の再導入事業にあたっては、各国の実情や分類群ごとの特殊性に応じた再導入ガイドラインを策定する必要があった。

わが国では、このような再導入ガイドラインとして、日本魚類学会が「生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン」(2005 年)を策定しているが、その他の分類群に関するものはない。

そこで、日本野生動物医学会は、わが国の実情や日本産野生哺乳類および鳥類に対応させるようにIUCN ガイドラインの加筆および編集を行い、野生動物保護委員会および学術大会などでの議論をふまえて、「日本産野生動物における再導入ガイドライン」として公表することとした。

今後、これを指針として、わが国の野生動物における再導入事業が適切に実施されることを期待する。

2.再導入の考え方
ここでは、本ガイドラインの基本的な考え方を示す。
1) 用語の定義
再導入(Re-introduction)とは、絶滅または絶滅のおそれにある種(以下、種)が過去に分布し、かつ現在は絶滅している生息地に、この種を再び定着させようとすることであり、以下の類似した行為とは明確に区別されなければならない。なお、本ガイドラインでは、明確に区別される場合には、「種」を「亜種」あるいは「地域個体群」に置き換えてもかまわない。
「移住(Translocation)」
野生の個体または個体群を、その種の分布域内において、意図的かつ人為的に別の生息地に移動させること。
「補強(Re-enforcement/Supplementation)」 野生の個体群に同種の個体を加えること。 「保全的導入(Conservation/Benign Introduction)」 過去の分布域内に存続可能な生息地が残されていない場合に限り、分布域外で生息地および生態地理学的に適切な地域に、保全を目的として種を定着させようとすること。

2) 対象種本ガイドラインでは、日本産野生哺乳類および鳥類の種を対象とする。

3) 目的と目標
再導入は、対象となる種の歴史的な分布域内において、その種をすでに絶滅した地域に野外で存続可能な個体群として定着させることを目的とする。また、再導入事業を通じて、以下の目標を達成する必要がある。
(1) 行動を含めた種の復元と安定的存続
(2) 生物多様性の確保と自然再生
(3) 地域および社会における経済的・文化的発展
(4) 自然保護思想の普及啓発

4) 原則
再導入事業は、以下の原則にもとづいて実施される必要がある。
(1) 生物多様性保全
再導入は、生物多様性の確保を目的とすることから、生態的あるいは遺伝的なかく乱などを起こしてはならない。そのため、再導入は、その種の歴史的に明らかな生息地かつ分布域の範囲内で行う必要がある。
(2) 順応的管理
再導入は、生息域内保全と不可分のものであり、これらを包含する「種の回復計画」(種の保存法の保護増殖事業計画など)のもとで科学的かつ計画的に実施する必要がある。また、再導入事業にあたっては、後述する「再導入事業計画」を策定して行うべきである。
しかし、対象となる種や生息域などに関する科学的情報が不足し、さらに再導入による影響を予測することが困難な場合があることなどから、再導入事業の実施にあたっては、長期間にわたる科学的なモニタリングと計画の見直しを行いながらすすめる必要がある。
また、これらのモニタリングや計画策定にあたっては、行政、NGO、大学等試験研究機関、動物園水族館、動物医療機関などの多岐にわたる専門家集団が関与する必要がある。
(3) 統合的管理
再導入事業には、飼育下繁殖、生息地復元、普及啓発など多様な事業が含まれるため、関与する行政機関や関係団体が多いのが一般的である。これらの機関が常に目標を共有し、それぞれの事業をすすめてゆかないと再導入事業の成功は期待できない。したがって、関係する事業を統合的にすすめるしくみと体制が必要である。
(4) 参加型管理
再導入事業は、再導入の対象となる地域の住民や地権者、あるいは関係団体などの理解と協力が不可欠である。そのため、さまざまな情報の共有や環境教育などを通じて、理解を促す取り組みが必要である。
また、こうした関係者が再導入に関わる合意形成や計画づくりに関与するしくみをつくり、さらに再導入事業への参加を促す取り組みが必要である。

3.「再導入事業計画」
再導入は、多様な主体の合意形成機関における議論やパブリックコメント等で広く意見をもとめることなどを通じて策定された「再導入事業計画」に即して、実施される必要がある。とくに、計画立案にあたっては、関係する主体ごと、あるいはそれらすべてが参加する場で、IUCN/SSC/CBSG(保全繁殖専門家グループ)が開発したPHVA(個体群と生息地の存続可能性評価:Population & Habitat Viability Assessment)プロセスによるワークショップを行うことが推奨される。PHVAAは、再導入に関わる重要な生息環境や個体群パラメータを特定し、それらの潜在的な相互作用を調べるのに役に立ち、また長期的な個体群管理の指針となるからだ。ここでは、この計画に盛り込むべき内容とその指針を示す。

1) 現状の把握と評価
再導入の対象種とそれに関わるさまざまな事象について可能な限り調査を行い、現状を客観的に把握する。
再導入される個体の分類学的位置づけに関する調査を行なう。適当な個体数が利用できない場合を除いて、再導入個体は絶滅したものと同じ亜種であることが望ましい。個体の分類的位置づけに疑いがある場合、分子遺伝学的な調査とともに、再導入地域とその周辺における対象種の歴史的分布調査を実施するべきである。また、その分類群や近縁種における個体群の中あるいは間の遺伝的変異に関する研究も役に立つ。個体群が長らく絶滅していた場合には特に注意が必要である。
その種が必須とする条件を明らかにするために、(もし存在していれば)野外個体群の現状や生物学的特性に関する詳細な研究を行なうべきである。例えば、生息場所の選択的嗜好性、種内変異や地域的な生態条件への適応、社会行動、グループ構成、活動域の広さ、隠れ場所や餌の要求、採餌や摂餌行動、捕食者や疾病、などに関するものである。
かつての減少あるいは絶滅原因を特定し、その原因の除去あるいは十分なレベルへの減少をはかる必要がある。これらの原因としては、疾病、過剰狩猟、化学物質による汚染、外来種との競争あるいはそれによる捕食、生息地の減少、過去の調査や管理計画の負の影響、家畜との競争などが含まれる。
再導入の手順を計画する前およびその過程で、以前に再導入が実施された同種あるいは近縁種の事例に関して精査し、また広く関連する専門家たちのアドバイスを受けるべきである。
すでに、対象種の欠落によってできた生態的ニッチを埋めている種がある場合、それを明らかにしなければならない。再導入される種が生態系に与えると予測される影響を理解することは、個体群の再導入を成功させる上で重要である。
年ごとに放すべき個体の最適な数や構成、そして存続可能な個体群を確立させるために必要な年数を決定するために、再導入個体群の個体群動態をさまざまな条件設定のもとでモデル化すべきである。
再導入は、一般に、長期的な資金および行政的なサポートが必要とされる長期的なプロジェクトであり、再導入事業が地域住民へ与える影響や、コスト、利益に関する社会経済的な研究がなされるべきである。
再導入事業に対する地域住民の姿勢に関して入念に調査することは、特にその種の減少原因が人的要因(過剰狩猟、生息地の消失や改変)による場合、再導入個体群の長期的な保護を確かなものにするために必要である。再導入事業は、地域のコミュニティーに十分に理解され、受け入れられ、サポートされなければならないからだ。
再導入個体群が人間活動から脅威をうけるおそれのある場合、再導入地域におけるリスクを最小化するような手段が講じられなければならない。もしその手段が不十分である場合、その再導入を取りやめるか、別の再導入地域を探す必要がある。

2) 目標
再導入では、関連する事業ごとの目標を合意形成によって設定する。ただし、この目標は、前述の原則に即して設定する必要がある。 また、この目標を達成するための短期的および中長期的な評価基準を設定し、事業ごとに実施に必要な期間を予測する。

3) 実行体制
再導入に関わる多様な主体が参加する合意形成機関を設置し、事業計画の策定や見直し、進行管理などを行う。
再導入事業のすべての段階で、専門的な技術的アドバイスを得ることのできる総合的なチームを編成する。
再導入事業全体のマネジメントを行う管理者(機関)を必ず設置し、飼育下繁殖個体群管理者および血統登録管理者(スタッドブック・キーパー)と密接に連携する。 再導入事業のすべての段階に対応する適切な財源の確保に努める。

4) 飼育下繁殖個体群の創出と管理
飼育下繁殖個体群の創出は、野生個体群絶滅に備えた保険あるいは生息域内保全の取組を補完するものであることを認識する。また、再導入に対応できうる技術(飼育技術、繁殖技術、リハビリ技術)の確立も重要な役割である。
飼育下繁殖を実施するには、その目的に応じた施設を整備する必要がある。施設に必要な機能はおもに以下の4つである。
・飼育・繁殖するための機能 ・再導入にむけたリハビリ訓練をするための機能 ・調査研究をするための機能
・教育機能(地域住民や来訪者への普及啓発)
機能によって適切な場所に設置する必要があるが、必ずしも全ての機能が同所に存在する必要はない。また、施設を管理運営していくためには、幅広い関係者の連携協力が必要であるとともに、施設内に各分野の専門知識及び経験を持つスタッフが必要である。 飼育下繁殖にあたっては、野生個体群からの生態学的情報にもとづいて実施する必要がある。
飼育下繁殖個体群の創設にあたっては、創設集団の遺伝的多様性を100 年間にわたって90%以上維持可能な十分な個体数の集団を当面の目標とする。このため、その種における個体群パラメータに基づいたモデルにより、ファウンダー(創設個体)の個体数および維持すべき飼育下繁殖個体群の個体数を試算する。 飼育下繁殖個体群の創設と維持のための施設の確保やスケジュールを確定するため、「飼育下繁殖計画」を策定する必要がある。また、関係する専門家によって、この計画は常に見直す必要がある。
ファウンダーは、健常な野生個体を利用することが理想であるが、すでに飼育下にある個体や救護される個体、あるいは死亡個体からの配偶子をファウンダーとして利用することは重要である。これらの個体の利用に関する指針は、飼育下繁殖計画で明記する必要がある。
哺乳類と鳥類のほとんどの種で、幼体時における経験や学習に生存率が大きく依存しているため、野外で生存するために必要な情報を得られるよう、飼育環境下における訓練が必要である。また、飼育下繁殖個体を再導入した場合の生存率は、野生個体の生存率と同等であることを目標とすべきである。
大型肉食獣などの人や家畜に危害を加えるおそれのある種では、飼育下において人をおそれることを学習させるなどの注意が必要である。

5) 再導入
再導入にあたっては、その手法、スケジュール、必要な場合の人為的な介入(例えば、補助的な給餌や獣医学的ケアなど)、中止する場合の基準などをあらかじめ定めておく必要がある。
当該種が人間の生活や財産に潜在的なリスクを与える場合、そのリスクを最小化すべきであり、必要な場合には補償のための適切な方法をとらなければならない。すべての解決法が失敗した場合、再導入した個体の捕獲(殺処分を含む)を考えなければならない。
再導入に用いる個体は、野生個体群起源のものが望ましいが、飼育下繁殖あるいは人工増殖された個体が用いられる場合、現代の保全生物学の考えに従って、人口学的、遺伝的に十分に管理された個体群からの個体を用いるべきである。また、再導入する集団を構成する個体数および血縁関係などは、当該種の生態等を考慮して個別に検討すべきである。
再導入は、飼育下繁殖集団が存在するからという理由や飼育下繁殖集団で余剰の個体を処理する方法として実施されてはならない。
再導入する地域は、その種の歴史的な分布域内とすべきである。また、その地域には、感染症の拡散や生態系のかく乱、外来遺伝子の移入を防ぐために、原則として、その種の個体群が存在してはならない。状況によっては、再導入や補強は囲いなどで限定された地域で行うべきで、その場合でも、その種の本来の生息地や分布域内で行うべきである。また、生息環境の改善等によって、現存する個体群の分布域が回復する可能性のある地域にあっては、再導入の実行を慎重に検討すべきである。
保全的導入は、もとの生息地や分布域内に再導入できる可能性がないか、その種の保全上で欠かせないと判断された場合に限って、最後の手段としてのみ実施されるべきものである。

6) 生息地の確保と回復
再導入地域は、その種の生息地として必要不可欠な環境条件をそなえ、また長期的かつ確実に保全される必要がある。
再導入地域の面積は、再導入個体群の成長を維持し、長期的に存続可能な個体群を保持することができる十分な環境収容力を有する必要がある。
再導入を実施する地域が生息地として本質的に劣化している場合には、生息地の回復および復元を再導入に先立って行わなければならない。

7) 獣医学的ガイドライン
動物福祉の確保は、再導入に関わるすべての段階を通しての最重要項目である。
対象種において、再導入事業に関わるすべての個体は、獣医学的な検疫を行うべきである。とくに個体群レベルおよび生物群集、さらに生態系に影響を与え得る外来性あるいは伝染性の病原体(以下、深刻な病原体)に関する感染症リスク評価を、しかるべき専門家集団によって行い、その結果、リストされた深刻な病原体に対する検査は、必ず実施されなければならない。また、それらの病原体に対する危機管理マニュアルを策定する必要がある。
深刻な病原体に感染した、または検査結果が陽性であることがわかった動物は、再導入事業から排除されなければならない。また、未感染あるいは陰性の個体は、再検査までの期間、厳重に隔離されなければならない。再検査をクリアした場合、その動物は移動が可能となる。
飼育下繁殖個体群における感染症リスクを低下させるために、繁殖効率などを考慮した個体数以上に飼育下繁殖個体が達した場合、複数の施設に分散して飼育すべきである。
再導入にあたっては、再導入地域における近縁種の獣医学的な検査を行なう必要がある。
深刻な病原体は、移動・運搬途中(特に大陸間の移動)にも感染し得るので、最大限注意してこのリスクを最小にしなければならない。 再導入に用いる個体が野外から得られたものである場合、運搬前に、深刻な病原体の保状況を確認しなければならない。 再導入に用いる個体が、再導入地域に存在する可能性のある深刻な病原体に対し、十分な免疫を保有していることを確認しなければならない。また、再導入地域の野生動物個体群や家畜における地域固有あるいは流行性の病原体に対する免疫付与が必要と判断された場合には、そのワクチンを投与することが適切である。ただし、免疫が機能するのに十分な時間を与えるために、これは再導入の準備段階で実施しなければならない。
再導入に用いる個体を再導入地域へ輸送する場合、輸送による個体へのストレスを最小化する方法に特に重点を置いて輸送計画を策定する必要がある。

8) モニタリング
実行された再導入事業を科学的に評価するため、再導入の事前段階からモニタリングを実施しなければならない。
モニタリングの調査項目やその調査手法に関しては、再導入の事前段階で十分に検討が必要である。とくに、再導入個体の追跡と同様に、個体の健康状態についてのモニタリングが重要であり、問題が生じている場合には何らかの人為的介入が必要となる場合もある。
再導入に用いる個体のすべて(あるいは一部)に対して、再導入後のモニタリングが必要である。これはきわめて重要であり、直接的(例えば、標識、テレメトリー)、あるいは間接的(例えば、足跡、痕跡)な方法を用いる。
再導入に関わるさまざまな課題は、再導入個体群の科学的な研究を通じて解決する必要がある。例えば、再導入個体や個体群の長期的な適応のプロセスに関する研究、再導入による他の生物への影響に関する研究、再導入個体群の人口学的、遺伝学的、生態学的、行動学的研究、再導入事業の対費用効果や成功の判断基準に関する研究、などがなされなければならない

9) 普及啓発
再導入を長期的にささえるために、さまざまな教育活動が必要である。とくに、再導入地域の土地所有者や住民への教育活動、再導入に関わる専門技術者の育成、地域住民を含めたモニタリングや教育活動の担い手育成、マスメディアや地域コミュニティーにおける広報などが重要である。

4.今後の展開
1) 飼育下繁殖を実施すべき種のリスト化
これまで、日本産絶滅危惧種に関する飼育下繁殖は、動物園や水族館等の自主的な活動、または種の保存法における保護増殖事業に基づく事業として実施されてきたが、その対象種は必ずしも科学的な根拠による優先順位付けによって選択されているわけではない。
今後、専門家などの議論を通じて、生息の現状や保全上の課題などを総合的に評価し、飼育下繁殖を開始すべき対象種の優先順位付けを行う必要がある。

2) 生息域外保全に関する法制度の整備
再導入は、関連する法律で必要となる許可等のもとで実施されなければならない。また、再導入した個体群が他地域(他の都道府県や他国を含む)へ分散する可能性がある場合には、当該地域での条例や法律に必要な許可を得るべきである。
一方で、わが国の法制度では、再導入の位置づけが明確化されていないため、再導入をすすめるためには、生息域外保全全般に関わる法制度の整備が必要である。とくに、検討が必要な課題を以下に示す。
・飼育下繁殖個体および再導入個体の所有権および管理権が不明であること
・再導入により損害を受けた場合の責任の所在が不明なこと
・動愛法上の「遺棄」と「再導入」の区別が不明であること
・再導入に関わる法定協議会が不明であること

3) 野生動物医学専門家の確保
飼育下繁殖や再導入では、野生動物医学に関わる専門的知見や技術が不可欠である。しかし、この分野の専門家が少ないため、日本野生動物医学会をはじめ関係大学および試験研究機関は積極的に人材育成を実施しなければならない。また、飼育下繁殖および再導入に関わる施設やプロジェクトには必ず野生動物医学専門家を配置すべきである。

日本における野生動物医学教育の確立に向けての提言

要約

近年、獣医学における野生動物医学分野への社会からの要請が強まっている。この傾向は獣医系大学への入学生の志向にも顕著に表れており、環境問題の一分野である野生動物の保護に関心を寄せる入学生が少なくない。しかしながら、すべての獣医系大学に共通した包括的な野生動物医学教育プログラムは未だカリキュラム上にみられていない。今後この点を是正し、社会や学生からの要望にも応えられるように、獣医系大学において適切な野生動物医学教育が行われる必要がある。

地球環境の悪化に伴い野生動物の絶滅はかつてない速度で進行し、このまま進めば人類の生存をも危うくする危機に瀕することが予測される今、種の多様性の確保や遺伝子資源の保全は世界的な重要課題となっている。この問題に対して、世界各国の大学や研究機関による国際的な対応がなされる中、野生動物医学からのアプローチも盛んである。そのような状況の中、日本の獣医系大学で野生動物医学の教育プログラムが組まれ、専門的な知識や技術を備えた人材の育成が今求められている。

最近の鳥獣保護法の改正により、将来的には野生動物保護行政に携わる専門家が増え、その中に野生動物医学専門家の配置が求められるであろう。野生動物医学教育を受けた学生が、野生動物の保護管理および救護活動を実践する専門家として技量を発揮する日もそう遠くない話と思われる。一方、獣医生態学に関する教育は、学生の職業選択に拘わらず獣医学教育の中で必要不可欠な基礎科目として位置付けられるべきである。

野生動物医学教育の柱は、動物の生体機構のしくみを深く理解しながら、自然生態系のバランスを崩さないように環境を健康な形で保全していく知恵や知識を養成することにある。野生動物医学教育にあたって、単に産業動物や伴侶動物で確立された臨床技術や研究成果を野生動物に応用してみるというのではなく、根本的な学問教育の方向性の違いを提示する必要がある。

このような理念の元に、以下のような野生動物医学教育プログラムを提言する
獣医生態学: 低学年向 30時間2単位 必修
野生動物医学: 高学年向 30時間2単位 選択
野生動物医学実習: 高学年向 45時間1単位 選択